迷惑

20,人は、周りに迷惑をかけながら生活をする生き物です。

私たちは、幼い頃から他人に迷惑をかける事は、「いけない事」と教育されて育ちます。そして、社会に出てからも他人に迷惑をかけないように過ごして行きます。しかし、自分の価値観は、自己の経験から生まれるもので、経験していない物事対しての価値などわかるはずもありません。そして、人それぞれ経験は異なり、価値観も異なります。

社会と言う集団生活の中では、価値観の違う者同士が関わりあって、日々を過ごすので、自分が気づかない所で他人に迷惑をかけてしまいます。自分が良かれと思って相手にした事でも、相手にとって迷惑極まりない事もあるのです。そんな経験を繰り返しながら、私たちは成長して行くのでしょう。

言うなれば、他人に迷惑をかけないで過ごす事は不可能な世界で毎日を過ごしているのです。

私たちは、他人に必ず迷惑をかけてしまう自然界へ生まれ落ちているのに、私たちが創った社会では、「他人に迷惑をかけてはいけない」というルールがあります。d誰しも自分に都合の良い解釈をしながら日々を過ごしてゆくので、自分が他人に迷惑をかけているなどと思いたくありません。また、迷惑だと思っても、それをいちいち口にする人もすくないでしょう。また、この自然界と社会のギャップが、人と人の争いを生み、自分や相手を苦しめる事もあるでしょう。しかし、このギャップがあるおかげで、私たちは他人を「ゆるす心」を育む事ができるのです。

私たちの社会は、人々の助け合いで成り立っています。今自分が生活できるのも、多くの人達の協力があるからです。自分一人の力では、今の生活を保てない、従って自分の言動が必ず誰かに何らかの影響を与えているという事です。しかし、私たちは利己的な思考を植え付けられて生まれてきます。自分の価値観のみで物事を判断し、自分本位に日々を過ごしてしまうのです。当然、多くの人が助け合い協力し合あって過ごす社会で、そんな生き方をすれば、周りに何らかの迷惑をかけてしまいます。しかし、自分本位な思考がその事実を気づかなくされるのです。

私たちは、自分の気づかない所で、誰か何かに迷惑をかけ「不徳」積みながら過ごしている事を忘れてはいけません。また、その為に周りに尽くし「徳」積む事が必要なのです。このバランスが保てないと、日々の生活の中で嫌な出来事、辛く苦しい出来事が増え続けるでしょう。