幸せ快楽

9,「幸せ」と「快楽」は、別々に考えた方が、過ごしやすいです。

「幸せ」とは、何だろう?と、そう考えると人それぞれ「幸せ」の価値感は違うものだと思います。ただ、多くの人は「苦労」や「苦悩」のない事であったり、何不自由のない生活であったり、贅沢の出来る生活であったりします。要するに「快楽」を求め、「快楽」が満たされると「幸せ」なのです。人間であれば誰しも、「快楽」を求めるように創られて生まれてくるからです。お金持ちになりたい!有名人になりたい!良い服を着て、良い車に乗って、良い家に住みたい!美味しいものを食べたい!贅沢をしたい!尊敬されたい!優越感に浸りたい!などなど・・と、そう思ってしまうのです。

しかし、我々が生れ落ちた、この世界は、「利他的な心」を持って生きなければ、様々な「苦悩」に直面するように創られている。「快楽」を求めれば求めるほど、辛く苦しい現実を突きつけられるのです。そして、自然界に突きつけられた「苦悩」を乗り越える事により、私たちの心に「利他的な思い」が芽生えます。

「利他的な心」持ち始めると、生きる事に対しての価値観が変わります。社会の役に立ちたい!困っている人の役に立ちたい!そんな欲求が生まれてくるのです。そして、多くの人たちの役に立てる自分があった時、何とも言えない「喜び」を感じるでしょう。「快楽」では、一時的に満たされるだけですが、この喜びは、永遠に続きます。これこそが「真の幸せ」なのでしょう。周りに尽くし、得るものは、はかりきれないほど切れないほど大きなものなのです。

ただ、生まれる時に受け付けられた「快楽」を求める機能は、無くなりません。従って「快楽」と「幸せ」を別々に考え、「快楽」を求めすぎないようにした上で「徳」積みながら「幸せ」を増やしてゆくと良いでしょう。そうすれば自然界から突きつけられる「苦悩」が少なくなり、日々を過ごしやすくなります。また、「利他的な心」が大きくなればなるほど、「利己的な心」が小さくなり、「我欲」も薄れ「快楽」を求める思いも小さくなって行きます。